蝉丸は、平安前期の歌人として実在の人物です。しかし、生没年を含め、その人物像は詳しくはわかっておらず、様々な伝承が残っています。
前回のブログで、小倉百人一首の「蝉丸」を取りあげましたが、能にも「蝉丸」という演目があり、
能においては、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子として生まれ、琵琶の名手で盲目であった人物として描かれています。
舞台は、蝉丸が臣下をともない逢坂山へ向かう場面から始まります。勅命により、都をはなれ逢坂山で過ごすことになったのです。臣下たちは去り、蝉丸は出家のいでたちでたったひとり、なぐさみに琵琶を弾いています。
そこへ蝉丸の姉で放浪の身となった第三皇女の逆髪(さかがみ)が通りかかり、琵琶の音色に導かれた姉と弟は再会をはたすのでした。手をとって互いの無事を喜びつつも、我が身の悲運を嘆きあうシーンは胸が苦しくなります。
やがて、逆髪は蝉丸と別れ、再び放浪の旅にでるのでした。
「これやこの 行くもかえるも 別れつつ しるも知らぬも 逢坂の関」
後撰和歌集にも収められたこの和歌が一層味わい深く感じられる物語です。
滋賀県大津市の逢坂山には「関蝉丸神社」があり、蝉丸の伝説を今日に伝えています。
事務局:ふな