前回、能「熊野(ゆや)」を取りあげ、「熊野 松風に 米の飯」の言葉をご紹介しました。「熊野」と並び、米の飯ほど繰り返しても飽きないと言われる能「松風」は、季節としては秋の曲ですが、熊野に続く読み物として今回取りあげてみたいと思います。
松風に登場する在原行平(818-893)は、美男子として知られる在原業平の7つ年上の腹違いの兄にあたる人物です。平城(へいぜい)天皇の第一皇子 阿保(あぼ)親王の子ですが、臣籍降下し、業平らとともに在原朝臣姓を賜与されました。
古今和歌集によれば、在原行平は40歳頃に、物語の舞台となる須磨に流されています。
能「松風」の作者は、この須磨での蟄居時ではなく、それより前、因幡守に任ぜられ赴任地へ向かう際に開かれた送別の宴で詠んだ行平37歳頃の和歌を、松風と村雨という姉妹との離別の歌としてあてはめ、「松風」を創作したと言われます。
立ち別れ いなばの山の峰に生ふる 松とし聞かば 今帰り来む 古今和歌集 巻八・365
ある秋の夕暮れ、旅の僧が須磨の浦(兵庫県神戸市)を訪れます。僧は、浜辺に立つ1本の松が松風、村雨というふたりの姉妹に縁があることを知り、経を上げて姉妹の霊を弔います。その後、一夜の宿を乞うため浜辺の小屋で待っていると、汐汲みを終えた美しい女がふたり、月下のもと汐汲車(しおくみぐるま)を引いて帰ってきました。僧は、松風、村雨の松を弔ったと語ります。するとふたりは自分たちこそ行平から寵愛を受けた松風、村雨の亡霊だと涙ながらに明かし、行平との恋物語を語ってきかせます。姉の松風は行平の形見の烏帽子と狩衣を身にまとい、行平を想って狂おしく舞います。やがて夜が明けるころ、妄執が晴れるよう供養を頼み、ふたりは僧の前から姿を消していきました。あとには村雨の音にも聞こえる松を渡る風だけが残るのでした。
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松とし聞かば 今帰り来む ・・待つというならばすぐに帰ってきましょう
その言葉を信じて待ち続ける松風の想いは、観るものの多くが共感し、何度観ても味のある作品と称される所以かも知れません。
能のお話では、夜明けとともに亡霊が去っていく描写が多く出てきます。これは当時の仏教思想によるもので、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の世界から夜半のある時間だけは抜け出して人間道(現世)に戻れるという考え方に基づいています。もとの世界へ戻らなくてはならない夜明け前を迎えると、亡霊たちは消えていくのです。
(事務局:ふな)