皆さま
新現役ネット 関西支部 事務局からの発信です。
関西は、本部のようにたくさんの人がいません。事務局は一人しかおりません。しかしとても頼りになる助っ人がたくさんいてくださいます。
その中のお一人から、昨晩メールをいただきました。
下記に掲載いたします。
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関西は、本部のようにたくさんの人がいません。事務局は一人しかおりません。しかしとても頼りになる助っ人がたくさんいてくださいます。
その中のお一人から、昨晩メールをいただきました。
下記に掲載いたします。
先日BSフジ「プライムニュース」で、韓国大統領選をテーマにした番組を見ていたら、韓国問題のご常連コメンテーター、鈴置高史氏(元日経新聞編集委員)が次のようなことを云っていました。「かつて日本はナショナリズムが過熱しすぎて失敗した。中国や韓国は、自国のナショナリズムが弱すぎたから、屈辱的な侵略の時代を招いたと思っている。ナショナリズムとは、一度過ちを犯さないとわからないものらしい」。なるほど至言だと思い、すぐにメモを取りました。
今回採りあげる『高杉晋作』は、1994年に上梓され文庫化されたのは1997年、もう25年も前の本です。何気なく書庫から取り出し上巻を読み進めていた時、上記の鈴置氏のコメントと出会いました。「ナショナリズムは過ちを犯さないとわからない」。幕末期は、様々なナショナリズム(語弊があるのは承知で使いますが)が入り乱れた時代ともいえます。薩摩を中心とした全国制覇を企む大久保・西郷の思惑、日本の近代化からグローバル戦略まで広がった坂本龍馬の理想、吉田松陰は、二君(天皇と長州毛利公)への忠誠のせめぎ合いから公武合体的な挙国一致を構想していた(丸山真男)と云われています。様々なナショナリズムの試行錯誤の末に明治維新が成就したのです。松下村塾の門下生、高杉は熱烈な尊王攘夷論者ですが、彼の思想の中心は常に長州でした。そして日本有数の大藩・長州を尊王攘夷思想で統一することに心血を注ぎます。しかしその過程の早くから、彼の思想の本音は開国へと舵を切っていたのです。
『高杉晋作』は、余り採り上げられない高杉の上海行(1862)から始まります。阿片戦争から20余年、列強に国土を思うがままに切り裂かれ、行政と警察権を奪われ、その結果中国人民に蔓延する貧困と無気力感。上海の有様を目の当たりにした高杉は衝撃をうけます。「国を開き、外国の文物を取り入れなければ、日本は辺陬の野蛮国に成り果てる」。こうした彼の危機感のリアルさは、米国船への密航に失敗し、海外を見ることなく終わった師・松陰との決定的な違いとなります。そして高杉は、生来の直感力に松陰から学んだ理論構築力を加え、攘夷を戦術に開国を戦略としつつ、長州とつかず離れずの距離感を保ちながら活動を続けます。松下村塾の二傑、久坂玄瑞と高杉晋作は、いずれも過激な行動家でした。そして、激動の幕末期を28年で駆け抜けた高杉は、ひときわスタイリッシュな革命家でした。
池宮の文章は、ときに衒学的なまでに漢語を羅列し、それが一種の講談的なリズム感を生みだしています。また長州オリエンテッドな高杉の生き方を際立たせるためか、特に大久保・西郷の薩摩勢に厳しい記述が目立ちます。あとがきによると、著者は編集者から「奔放に書くこと」「高杉の短い生涯を伝えるため、早いテンポで書き続けること」を提示されたそうです。確かに高杉の生涯は、何かに追われるように息せき切って勾配をよじ登り、急坂を駆け降りるようなものでした。その焦燥感はよく伝わってきます。しかし高杉の一生は、生き急いだものではありません。その真骨頂は、決して悲観主義に陥らないこと、遊びを人生の有為なものとすることでした。そうした彼のスタイリッシュな生き方が、混乱期を生き延び、栄達を得、世俗に塗れたかつての志士たちから、遠く一線を画した存在として輝いている由縁だと思います。
「志士は頸首所を分つ事を恐れず、溝壑(こうかく)に填(うず)まり長く終に反ることを得ず」(志士は、いつどこで命を絶たれ、路辺に野垂れ死ぬことを恐れぬ覚悟が肝要である)という松陰のことばに韻を踏むように、池宮はこの物語の最後、高杉の死に一つの創作を施します。見事なエンディングです。 (T生)
仮名で書かれた日本文学の古典歌物語『伊勢物語』を、現役の作家の中で最高の恋愛小説の名手高樹のぶ子が、現代小説に甦らせた一巻です。色好みの美男子として歴史に名をはせる在原業平、その生涯を綴った『伊勢物語』全125段は、作者不詳。主人公もたぶん在原業平であろう、と言われています。高樹のぶ子が、この古典文学を現代語訳にするのではなく、「平安の雅を可能なかぎり取り込み、歌を小説の中に据えていくために」生みだした文体は、何とも瑞々しく端麗な日本語でした。業平五十五年の生涯は、当時としては長命であったことでしょう。若い伊勢を相手に、膨大に残った相聞歌を読み返し、愛と恋に殉じた人生を顧みながら往生を遂げる後半には、深い感動を覚えました。
← 2019年1~12月日経新聞夕刊に連載されました。
この小説は、業平十五歳の春、すなわち元服(初冠)を終えたばかりの業平が、生涯の友であり従者となる憲明とともに、春の野に駿馬を駆けさせる、素晴らしい描写から始まります。若さに任せた強引な恋愛、宮中を舞台とした道ならぬ恋、有名な東下り、熟年の恋、そして夢と現(うつつ)を漂う老いらくの姿。それぞれが一服の夢物語のように語られますが、読んでいて筆者が伊勢物語の口語訳ではなく、小説という形式にこだわった、その思惑も見えてきました。
この物語は、恋愛を至上の理として、色模様が織りなす刹那と恍惚、盛りと衰え、涙と笑い、虚無と漂泊等を繰り返し描いています。恋愛は、世界文学共通のテーマであり、若咲きから盛りのときを迎え、円熟し衰え、「飽かず哀し」という境地に至る業平の生涯は、古くはギリシア神話や中世の西洋文学に見られる、一種の貴種流離譚(きしゅりゅうひたん)ともとらえられます。ここに恋愛小説の第一人者としての作者が、新たな実験を挑む種があったのだと思います。
とにかく、難しい理屈はわきに置いて、この物語の流麗な日本語に酔ってください。日本文学に、新たな傑作がつけ加わったことは確かです。(T生)