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#面白い本「平蔵の首」(逢坂剛著・文春文庫)

「鬼平」は、池波正太郎だけではなかった!

「面白い本」も年末年始をはさんで、暫くの間が空いてしまいました。2022年の新春、思いもかけない降雪など、ずいぶん寒い年明けとなりました。みなさまお元気でお過ごしですか?

昨年末、歌舞伎界の重鎮、中村吉右衛門丈が亡くなりました。先々代松本幸四郎(八代目)を父に、現・松本白鸚(九代目松本幸四郎)を兄に高麗屋の家に生まれ、名優初代中村吉右衛門の養子となってからは、先代の芸風をひたすら追い求めることを自らの宿命にしたような生涯でした。しかし二代目吉右衛門も、高麗屋の豪快さと播磨屋(吉右衛門家)の芸域の広さを併せ持った天下の名優でした。合掌。

吉右衛門は「鬼平犯科帳」の主人公、長谷川平蔵(鬼平)の名演技でも知られています。これからも何度となくテレビの再放送でお目にかかることでしょう。

鬼平、こと長谷川平蔵(本名、長谷川宣以のぶため)は実在の人物です。江戸時代中期、丁度田沼意次の時代から松平定信の「寛政の改革」頃に活躍しました。幼名は銕三郎(てつさぶろう)、「本所のてつ」と二つ名されるほどの放蕩児だったそうです。四百石取りの旗本・小普請組の家に生まれており、若い頃の素行をあわせると後年の勝海舟のイメージでしょうか。火付盗賊改役に任ぜられたのが天明6年(1786年)、42歳の時で、その後約8年間この職にあり、お役御免を願い出て認められた3か月後に50歳(たぶん)で没しています。

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さて、この長谷川平蔵を主人公とした池波正太郎の大人気小説「鬼平犯科帳」は、昭和43年から「オール讀物」に掲載された連続小説です。このシリーズの抜群の面白さは、多くの皆様がよくご存じのことでしょう。今回ご紹介するのは、逢坂剛作の「鬼平」です。長谷川平蔵は実在の人物ですから、「池波鬼平」のパクリではありません。ただ逢坂も名の知れた推理小説の名手だけに、「逢坂鬼平」を誕生させるのになかなか苦心したのではないかと推測されます。「平蔵の首」には、巻末に警察ものを得意とする人気作家、佐々木譲との対談が収録されています。その中で逢坂は、池波正太郎と彼が創り上げた鬼平へのリスペクトとともに、何とか池波が創造した鬼平と周辺の雰囲気を消したい、という思いとその努力を語っています。ちなみに、逢坂の父君は挿絵画家として名高い中一弥で、彼は池波と逢坂両方の鬼平の挿絵を描いています。「だけど、まったく何の感想も言わない」と逢坂がぼやいていてなかなか面白い。「平蔵の首」には六話が収録されていて、鬼平は徹底して悪党に顔を見せない。深編笠を被るか、或いはひっ捕らえた悪党に目隠しを施すか。こうした一種のマスキング・ミステリーも、逢坂が苦心した独自の雰囲気づくりかも知れません。(T生)

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#面白い本「すばらしい人体」(山本健人著・ダイヤモンド社)

久し振りのブックレビューです。今回は新刊書(といっても今年の夏に上梓された本ですが)をご紹介します。「すばらしい人体」は、医学を中心とした科学の面白さと驚きに満ちた本です。冒頭に掲げられた「医学はサイエンスに支えられたアートである(ウィリアム・オスラー)」の言葉そのものです。著者の山本氏は、2010年に京大医学部を卒業した若きドクターで、消化器外科や感染症専門医であり、同時に人気医療情報サイト「外科医の視点」を運営しています。

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人体という、最先端科学でも到底追いつくことが出来ない、精巧な創造物に対する純粋な驚きと好奇心が、文中からあふれ出してきます。人間の脚一本の重量は約10キロ、腕の重さは4~5キロあります。両手両足で約30キロ、体重60キロの人の約半分は手足の重量です。このような重たい部位を支える筋肉と骨の精巧な作り!私たちの手足が「重く」感じるのは、血行不良や腫れやむくみによるもので、日常生活で部位そのものの重さに閉口することはありません。

肛門の機能も恐るべきものです。尾籠な話ですが、便でも水溶物でもなく「おなら」だけを体外に放出するという機能は、固体と液体を遮断して気体だけを選別しているのです。便意をコントロールできるのも、便を自然に排出するための内肛門括約筋(不随意筋)の他に、便をとどめることが出来る外肛門括約筋(随意筋)があるからです。

医学の発展の歴史の中で、私は次のことを知りませんでした。「メンデルの法則」のメンデル(オーストリア)が修道士であったこと、ダーウィンが地質学者であったこと(これは何となく知っていた気がする)、口腔洗浄液の代名詞「リステリン」は、19世紀半ばにイギリスの外科医リスターが手術時に施した消毒に端を発していること(それまでは手術時に消毒という概念はなかった)、細菌の発見者がオランダの織物商人レーウェンフックであり、そして顕微鏡で細菌や細胞などを観察する際になされる”組織の染色”は、19世紀ヨーロッパの植民地貿易の拡大により、繊維産業が発展し、それに伴って布染色の技術とそのための化学染料の開発がすすんだことが背景にあること。以上のように、長い歴史の中では、さまざまな医学者以外の人が重要な役割を果たしているという事実。などなど。

人体は、頭からつま先に至るまで驚異に満ちており、それを読者に伝えることがこの本を上梓した目的だった、と著者はあとがきで述べています。何より著者本人が、臨床医として、ひとりひとりが異なる人体という奇跡の産物に日々向き合っているからこそ、こうした刺激的な本が誕生したのだと思いました。(T生)

 

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#面白い本「ペスト」(A・カミュ作 宮崎嶺雄訳 新潮文庫)

昨年から猛威を振るっていたコロナウイルスの罹患数が、国内では急激に減少し、各種規制が解除乃至は緩和されつつあります。「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の警句は、姿かたちを変えて襲来する感染症にもまさしく然りで、それが昨年来『ペスト』が世界的なベストセラーとなった所以でもあります。フランスの作家アルベール・カミュの代表作『ペスト』が、デフォーへの献辞で始まるように、ロビンソン・クルーソーの作者、ダニエル・デフォーにも同名の小説があり(中公文庫)、この本もよく売れたそうです。両作の大きな違いは、デフォー作『ペスト』が17世紀半ばのロンドンでのペスト大流行を題材としたノンフィクションノベルであるのに対し、カミュの『ペスト』は完全なる創作作品であることです。

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私たち60・70歳代がまだ青臭き頃、カミュやサルトルといった実存主義作家の作品を読むことが、一種の通過儀礼でした。カミュといえば『異邦人』ですが、今回久方ぶりに再読した『ペスト』も読み応えのある大作でした。この迫真的な描写の全てが、カミュが創り出したものがたりとは、とても思えません。しかし一方、主人公リウー(医師)をはじめとする主要人物、周辺の登場人物などを周到にちりばめた群像劇として見れば、テーマを抽象化し再構成した見事な創作品であるとも感じます。

舞台はフランスの植民地であるアルジェリアのオラン市。或る日、市内にネズミの死骸が見かけられるようになることから、この戦慄のものがたりは始まります。明かなペストの流行にもかかわらず、現実から目を背けようとする医師会長に代表される官僚たち、やがて断行される都市封鎖、市民による衛生隊の活動、病床の逼迫、治療の絶望的な限界等々。まるで昨年来のコロナ禍を見通しているかのような描写が続きます。そして「不条理」というテーマに欠かせない、神と人間との対立。

『ペスト』が書かれた時期は第二次大戦中、フランス及びその植民地はナチス・ドイツの占領下でした。社会一面を隈なく覆うペストがもたらす災禍は、レジスタンス運動に身を投じたカミュにとっては、ナチスがもたらす死と圧制への恐怖や怒りと同様のものだったと思います。先の寺田寅彦の警句のように、災禍は或る日、頭上を覆いつくしているかと思えば、突如として終息を迎えたりします。やがてペストが去り、町が解放され、歓喜に沸く人々を見つめながら、この小説は有名な次の一節で終わります。「ペスト菌はけっして死ぬことも、消滅することもない。‥‥寝室や地下倉庫やトランクやハンカチや紙束のなかで忍耐づよく待ちつづける。そして、おそらくいつの日か、人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、どこか幸福な町で死なせるために送りこむのである。」

これは、今回私たちが経験した感染症の蔓延についても、あちこちで起こりつつある自由への迫害や様々な差別、地球環境改善への各国の”不条理”な対応、などに対しても、等しく向けられたメッセージと読み解くことも出来ます。(T生)