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#面白い本「業平」(高樹のぶ子著・日本経済新聞出版)

 仮名で書かれた日本文学の古典歌物語『伊勢物語』を、現役の作家の中で最高の恋愛小説の名手高樹のぶ子が、現代小説に甦らせた一巻です。色好みの美男子として歴史に名をはせる在原業平、その生涯を綴った『伊勢物語』全125段は、作者不詳。主人公もたぶん在原業平であろう、と言われています。高樹のぶ子が、この古典文学を現代語訳にするのではなく、「平安の雅を可能なかぎり取り込み、歌を小説の中に据えていくために」生みだした文体は、何とも瑞々しく端麗な日本語でした。業平五十五年の生涯は、当時としては長命であったことでしょう。若い伊勢を相手に、膨大に残った相聞歌を読み返し、愛と恋に殉じた人生を顧みながら往生を遂げる後半には、深い感動を覚えました。

f:id:tanabetan:20220126011712j:plain ← 2019年1~12月日経新聞夕刊に連載されました。

 この小説は、業平十五歳の春、すなわち元服(初冠)を終えたばかりの業平が、生涯の友であり従者となる憲明とともに、春の野に駿馬を駆けさせる、素晴らしい描写から始まります。若さに任せた強引な恋愛、宮中を舞台とした道ならぬ恋、有名な東下り、熟年の恋、そして夢と現(うつつ)を漂う老いらくの姿。それぞれが一服の夢物語のように語られますが、読んでいて筆者が伊勢物語の口語訳ではなく、小説という形式にこだわった、その思惑も見えてきました。

 この物語は、恋愛を至上の理として、色模様が織りなす刹那と恍惚、盛りと衰え、涙と笑い、虚無と漂泊等を繰り返し描いています。恋愛は、世界文学共通のテーマであり、若咲きから盛りのときを迎え、円熟し衰え、「飽かず哀し」という境地に至る業平の生涯は、古くはギリシア神話や中世の西洋文学に見られる、一種の貴種流離譚(きしゅりゅうひたん)ともとらえられます。ここに恋愛小説の第一人者としての作者が、新たな実験を挑む種があったのだと思います。

とにかく、難しい理屈はわきに置いて、この物語の流麗な日本語に酔ってください。日本文学に、新たな傑作がつけ加わったことは確かです。(T生)