退路を断って腹をくくる。実に潔い態度ですが、いざやるとなると、なかなか難しい行動パターンです。
プロ野球の世界では、日々チーム内でレギュラーを確保するための弱肉強食の争いが展開されています。たとえば、4人が定員の内野手(バッテリーを除く)、3人定員の外野手の当落線上にある選手は、試合に出るためには自分の専門にこだわっていられない場合もあります。ロッテの角中選手は、首位打者タイトルを二度獲得した名外野手ですが、その彼も、ことしは一塁守備も練習するよう、すすめられたそうです。しかし彼はその誘いを断り、一外野手としてレギュラー争いに加わっています。
こうした潔い態度の裏側には、①自分の実力がわかっている ②その実力が客観的に評価できる ③勝負しても勝算がある、あるいは十分な可能性がある、といった自己分析が行われているに違いありません。自らの力を信じ、敢えて許容範囲を狭めて挑んだ角中選手は、腹のすわった冷静な勝負師であると思えるのです。
世の中というのは何が起こるかわからない、風の吹き回しという言葉があるように、明日のことさえ不確実だから、半身の構えでいるのが一番安全、という考え方があります。腹の中にため込んだ事々を、この際、腹を割ってぶちまけてしまうべきか迷い、いやまだ時期尚早、という煮え切らない半身の姿勢での自己判断の下に、重要な情報が闇に葬られることのなんと多いことか。「腹のうちを読まれない」「腹三寸」、熟成した日本人が得意とされる「腹芸」は、老獪な処世術であると同時に、ひとを律すべきモラルを「芸」の領域に貶めている悪習なのかもしれません。
ありのままに、己を虚しくして、心中のわだかまりを最小限にして生きることは、なかなか難しいことです。しかしシニアになって、生臭いしがらみから少しずつ解放されたら、腹をくくって、余計な道は断って、純度の高い生き方に向かうことを心がけたいものです。(大賀巣徒)