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オススメ講座の紹介:『日本書紀』を読む、『続日本紀』を読む

令和2年目の2020年は「withコロナ」を模索する年となっていますが、この状況のなかで、あらためて「日本」という国の成り立ちについて興味を持たれた方も多いのではないでしょうか。

日本書紀は、日本に伝存する最古の正史で、養老4年(720年)に完成し、今年は日本書紀完成1300年の節目にあたります。

日本最古の歴史書であり文芸作品でもある「日本書紀」、続く奈良時代の基本史料と言われる「続日本紀(しょくにほんぎ)」について、ご一緒に学んでみませんか?

9月11日は「古事記」総集編とし、内容的な繋がりを勘案し「日本書紀」は、古事記の続き部分となる継体天皇からを読み進める予定です。

◆日程:全6回

9月11日(金) 、9月25日(金) 、10月9日(金) 、10月23日(金)、11月13日(金) 、11月27日(金) 

◆時間:古事記(9/11)/日本書紀(9/25以降)⇒ 11:00~12:30 

    続日本紀⇒ 14:00~15:30

◆場所:新現役ネット 田町会議室

◆講師:玉川千里氏

◆受講料:各講座とも 正会員¥1200 準会員/一般¥1500

◆テキスト:岩波文庫(30-004-3)『日本書紀』(三)P.162より

      岩波書店 新日本古典文学大系『続日本紀三』

◆本講座は、Web会議システムZoomを利用したリモート講座も実施中です。

 詳細は申込み時にお問い合わせください。

 

※申し込みはHPのマイページからの他、以下の方法でも受付ています。

・電話で申込み:03-5730-0161
・メールで申込み eventsanka@shingeneki.com
★「日本書紀」あるいは「続日本紀」と明記のうえ、氏名(会員番号をお持ちの方は会員番号もお願いします)・住所・連絡先電話番号をお知らせください。

  

新現役ネット事務局

 

在宅、快適グッズ

 ステイホーム?、在宅勤務? 家にいる時間が多くなりました。そしてコミュニケーション手段として、パソコンやスマホを長時間活用されている方も多いことでしょう。パソコンやスマホを前に長時間すわっていると、肩は凝る、腰は痛くなる、眼は疲れる。それなりに大変です。リモートワークやおしゃべりをするにあたり、肩凝りや腰痛を緩和してくれるグッズを二・三ご紹介しましょう。

 一日中ディスプレイと向き合っている、通称「ゲーマー」。いい若い者が、と眉をひそめたことはありませんか?そのゲーマー、いくら若いからといっても、ずっと同じ姿勢でキーボードをたたいて、疲れないわけがありません。そこで、オンラインゲームユーザー向けに開発されたグッズには、かなりの優れものが多いのです。例えばアストロゲーミング社製のゲーム用ヘッドセットは、長時間着けても苦にならない素材を使用し、装着マイクも単一指向性で周囲の雑音を拾わず、指でなぞると消音モードになります。

f:id:tanabetan:20200904155852j:plain ←ヘッドセット「A10」、カッコイイ!

 在宅グッズで大きな要素を占める「椅子」。これもオンラインゲーマー向けが狙い目です。アスクが発売するシリーズは、画面に集中し、キーボードやマウスの操作による負荷を最小限にするように設計されている高級オフィスチェア並みのスペックで、1万1千円ほどの価格帯からあります。

f:id:tanabetan:20200904160239j:plain ←事務用クッション「pinto」

 椅子にとりつけるクッション。これもいろいろとあります。背筋を伸ばした正しい姿勢が長く保てるようにサポートしてくれるクッション(ピーエーエス「pinto」)。丸洗いができ、座布団部分と背当て部分がそれぞれ独立して調整できるようになっているクッション(プラッツ「ざぶ座布」)など。腰や肩を痛めて、整体やマッサージに通う費用を考えたら、ずいぶんとコスパがいい買い物のような気がしました。(T生)

 

能を愛好した権力者たち

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」、緊急事態宣言による撮影中断に伴い長らく放送も中断していましたが、ようやく先日8/30から再開しました。今後の展開が益々楽しみですね。

この作品のなかで、向井理さん演じる室町幕府13代将軍「足利義輝」が能を観賞するシーンはこれまで3度放映され、その演目は「敦盛」、「春日龍神」、「箙(えびら)」でした。

本ブログのなかで、これまでいくつか能の演目紹介をしてきましたが、今回は能の歴史と、時の権力者たちに能がどのように愛好されてきたかをご紹介したいと思います。

能の起源は、奈良時代に中国から渡来した「散楽(さんがく)」
という器楽や歌舞、曲芸などの多様な芸能と、日本に古来から伝わる豊穣などを祈る神事や農村での舞踊との融合と言われます。

そのような芸能を興福寺や春日大社など有力寺社に奉仕するなか、鎌倉時代中期には「座」と呼ばれる専門者集団が現れます。なかでも結崎(ゆうざき)座⇒のちの「観世(かんぜ)流」、外山(とび)座⇒のちの「宝生(ほうしょう)流」、円満井(えんまんい)座⇒のちの「金春(こんぱる)流」、坂戸(さかど)座⇒のちの「金剛(こんごう)流」、が特に知られ「大和猿楽(やまとさるがく)四座」と呼ばれていました。

観阿弥(1333-1384)の結崎座は、笛などで拍子を取り軽快に舞う田楽と優美な曲舞を合わせたスタイルで注目を浴び、大和の国のみならず京都でもその名を広めていきました。 一座の噂は時の将軍 足利義満(1358-1408)の知る所となり、観阿弥らが巡業で訪れていた新熊野(いまくまの)神社に義満はわざわざ赴きます。この時、観阿弥の息子で当時11歳の鬼夜叉、後の世阿弥(1363-1443伝)と出会います。 義満17歳のことでした。

室町幕府における政治/経済/文化の最盛期を築いた3代将軍 足利義満は、美少年 世阿弥を傍に常におき、能を手厚く保護しました。以来、武家社会において能をお抱えの芸能とする風潮が広まります。義満のもとで教養と研鑽を積んでいった世阿弥は、代表作となる能「井筒」をはじめ50曲以上の作品を創作し、理論書「風姿花伝」を著し、能の大成者と呼ばれます。

豊臣秀吉(1537-1598)が茶の湯とともに能を愛好したことは、よく知られることですが、彼が能に没頭したのは、千利休の切腹後、晩年の10年に満たない期間だったと言います。しかしその傾倒ぶりは文字通り「能三昧」の日々だったようです。稽古に忙しいと書いた手紙も見つかっており、自身の生涯を題材とした「豊公能」と呼ばれる作品群も新たに作らせました。

秀吉は、贔屓にしていた金春をはじめ、観世・宝生・金剛の大和四座の役者たちに「配当米」を与え支配下におき、この保護政策はその後の権力者たちに受け継がれていきます。

伊達政宗(1567-1636)は幼少期から能に触れており、青年時代に秀吉の舞いに合わせて鼓を打ったと伝わります。政宗は、毎年3万石を費やして能を保護し家臣にも能を習わせました。

武将自らが舞うことは「大名能」と呼ばれ、当時の武将は互いの屋敷を行き来して能を舞うこともあったようです。大名能を楽しむ間は無礼講で、身分の上下は問わず、遠慮なく情報交換を行ったといいます。このように、能は武士たちの社交場としての側面も持っていました。

江戸期においては、2代将軍 徳川秀忠(1579-1632)が、喜多(北)七太夫(1586-1653)を愛護し、能と狂言を幕府の「式楽」と定めました。秀忠の子3代将軍 徳川家光(1604-1651)も七太夫を庇護、元和年間には金剛流から独立し新たな流派として「喜多(きた)流」が成立していきました。伊達政宗も追随する形で喜多流を賞翫し、晩年の政宗が家光のために能楽鑑賞会を催したり、家光の舞いに鼓で伴奏した記録が残っています。

5代将軍 徳川綱吉(1646-1709)は、日頃演じられない珍しい曲を観ることを好み、廃絶されていた古曲を積極的に復曲させ上演させました。綱吉の時代に復活した曲は41曲に及び、そのうち20曲は現在まで各流派で演じられており、「雨月」、「大原御幸」、「蝉丸」などが含まれます。

6代 徳川家宣(1662-1712)も同様に古曲の復曲に力をいれ、「砧」などがそれとされます。48歳からの在位3年の間に生類憐みの令と酒税を廃止した家宣ですが、能においても後世への業績を残しています。

 

(事務局:ふな)