明日、3月7日は「新月」です。古来より人々は、夜空に浮かぶ月や星の世界について様々に想像してきました。月の満ち欠けについても色々な言い伝えが残っていますが、そのなかのひとつに、次のようなものがあります。
月には天女が住んでいて、白い衣の天女が15人、黒い衣の天女が15人、そして、白衣の天女と黒衣の天女が一人ずつ、当番を交代することによって月の満ち欠けが行われるというのです。その伝説によると、「新月」の日は、黒い衣の天女だけの日ということになりますね。
能「羽衣」は、月の世界に住むそのような天女の一人が、下界に降りてきたときのお話です。
うららかな春の日、駿河国(現在の静岡県)の三保の松原で、漁師の白龍(はくりゅう)が漁を終えて浜へ上がると、松の枝に掛かっている世にも美しい衣を見つけます。あまりの美しさに、持って帰って家宝にしようと衣を手にしたところ、天女が現れ、その羽衣はわたしのもの、掛けてあった松の枝へ戻してくださいと頼みます。
天女の羽衣と知って、ますます衣が欲しくなる白龍でしたが、羽衣がないと天へ帰ることができないと嘆き悲しむ天女の様子をみて、返すのでその代わりに舞を舞うよう伝えます。
天女は喜び、羽衣がないと舞えないので先に衣を返してくださいと言うと、返したら舞わずに天に帰るだろうと白龍。それに対して「疑う気持ちにおちいるのは人間だけなのです。天には疑うということはありません。」と天女は答えます。
「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」
白龍はみずからを恥じ、天女に羽衣を返します。
羽衣をまとった天女は、天界の舞楽を見せ、三保の松原の美しさを称え、富士の高嶺が茜色に染まるなか、あまたの宝を空から降らせ、国土と人々を祝福すると、浦風に羽衣をはためかせながら天空に昇っていき、ついには春霞にけむる富士のかなたへと姿を消していきました。
穏やかな春の海、砂浜と青い松、美しい天女の舞い、そびえたつ雄大な富士。この上ない美しい情景と、美しい羽衣を天女に返す善良な白龍の姿に、晴れやかな気持ちに満たされる素晴らしい作品です。