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100年前の出来事

  コロナウィルスのために台無しにされたような今年の夏休み。足早に過ぎ去ろうとしているかのようです。来週からは9月。そして9月1日は、1923年に発生した関東大震災に因んで設けられた「防災の日」です。阪神淡路大震災や東日本大震災、そして熊本地震と、多くの大地震に見舞われた日本ですが、いずれ必ず来ると云われている首都地震を考えると、9月1日はやはり大きな意味を持つ日だと思います。

 関東大震災当時、「この地震は天譴(てんけん=天罰)だ」と唱える著名人がいました。東日本大震災時にも「天罰」と口走った知事がいましたが、この種の短絡的な発想は、いつの時代も一緒だと思います。関東大震災の年の暮れには、「虎の門事件」と呼ばれるテロ未遂事件が発生します。共産主義者の一青年が、当時の摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)を襲撃した事件です。狙撃犯難波大助は、山口県周防村(現在の光市)の名門の出で、父親は現職の衆議院議員でした。逮捕された難波は大逆罪で起訴されます。大逆罪で有罪になれば、刑罰は死刑のみです。当時の大審院は、死刑判決を下したうえで恩赦により無期懲役とする、というストーリーのもとに、難波に改悛の陳述を求めましたが、難波があくまで主義を貫く発言をしたため、死刑が執行されるにいたりました。

父作之進は、即刻議員を辞職し地元に戻って蟄居、大助の遺体引取りも拒否して食を断ち、餓死しました。かくして名門難波家は事実上断絶。家屋敷は、今なお荒れるがままの状態とのことです。なお、大助の実兄で吉田家に養子に入った義人は、当時三菱本社に勤務しており、事件後直ちに辞表を提出したところ岩崎小弥太に止められ、終戦後は新三菱重工業の社長を務めました。

 ふとしたところで「天譴」という言葉に出会い、調べてるうちに虎の門事件に行き着きました。事件当時の首相は、日露戦争の英雄の一人、山本権兵衛。彼の第二次内閣はこの事件の責任を取って総辞職しますが、その9年前、第一次山本内閣もシーメンス事件によって総辞職を余儀なくされています。いかなる権力者も、時の運には勝てないということでしょう。(T生)