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童謡「里の秋」驚きの変遷(2/2)

 童謡「里の秋」は、急遽3番が書き加えられ、復員兵を慰労する歌として大反響を巻き起こしました。終戦の年の暮れのことでした。

 それから遡ることちょうど4年前の1941年12月、当時千葉県葛飾町(現在の船橋市)の尋常小学校教師だった斉藤信夫は、数編の詩を作曲家海沼實に送りました、その中の「星月夜」が、後年の「里の秋」の下敷きとなった詩でした。1・2番は「里の秋」とほぼ同じ。ただ3番以降は次のようなものでした。

  (3)きれいなきれいな 椰子の島  

     しっかり護って下さいと

     ああ 父さんよ僕だって 

     今夜も 一人で祈ります

  (4)大きく大きく なったなら

     兵隊さんだよ うれしいな

     ねえ 母さんよ僕だって

     必ず お国を護ります

当時の時流である戦意高揚と愛国心を謳った内容です。海沼は童謡として違和感を感じたのか、送られてきた斉藤の詩には無反応でした。

 さて終戦となり、NHK(当時はJOAK)では、陸続と復員してくる兵や軍属たちを癒し歓迎する番組を企画し、その番組の音楽を海沼に依頼しました。いきなりの難題に思い悩んだ海沼が、ふと思い出したのが、以前斉藤から送られてきた「星月夜」の前半部分でした。これこそが、日本人の誰しもが思い描く日本の故郷の原風景だ、と確信した海沼は、さっそく曲を付け始めますが、後半の3・4番の歌詞はさすがに使えません。「スグオイデコフ」の電報で呼び出した斉藤に、3・4番の歌詞の改作を依頼します。

斉藤は、改作の主旨は理解したものの、1週間足らずで仕上げてくれと要請され、途方に暮れてしまいます。しかし「静かな 静かな」「明るい 明るい」に続く3番の冒頭句に、「さよなら さよなら」を思いついてからは一気呵成に書きあげたそうです。そして放送当日、新たな3番を加えた「里の秋」は完成し、川田正子の透き通った歌声で全国のラジオを通して流されたのでした。(T生)

 f:id:tanabetan:20200623134747j:plain 詩人 斉藤信夫(1911-1987)