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能「国栖(くず)」

新現役ネットの講座に「古事記」と「日本(書)紀」があります。「古事記」「日本(書)紀」は、「万葉集」とともに現存している日本最古の古典のひとつですが、その中に描かれている神武天皇の東遷物語(神武東遷)に「国栖(くず)」の民は、出てきます。 

神武天皇(神倭伊波礼毘古命 かむやまといわれびこのみこと)は、九州日向をでて東に進み、大和に王権を築いた初代天皇と言われます。東遷の途中、熊野から吉野にむかう地では八咫烏(やたがらす)に導かれて進みます。その土地の民のなかには神武天皇の一行と戦ったものもいましたが、「国栖」は一行を歓迎した民として記されています。

 

能「国栖(くず)」は、神武東遷より時代のくだった壬申の乱(西暦672年)を題材にした物語です。作者は不明。大海人皇子はまだ子供で、伯父に追われ吉野へ向かうという設定になっています。

※「壬申の乱」は、第38代天皇 天智天皇の死後、天智の同母弟 大海人皇子と天智の子 大友皇子との後継者争いによる日本古代史最大の内乱です。大海人皇子は、吉野で挙兵の準備を進めた後、滋賀の都に攻め上り、関ケ原の地で大友皇子を倒しました。その後、奈良の飛鳥浄御原(あすかきよみのはら)を都と定め即位し、天武天皇となります。(天武天皇は、都の場所 飛鳥浄御原から浄御原天皇とも呼ばれます。)

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能「国栖」 伏せた舟の下に大海人皇子を匿い、追手とやり合う国栖の里の老夫婦

あらすじ:高貴な方(大海人皇子)が親族に襲われ、お供の者と吉野山中の国栖の里に迷い込み、一軒の民家で休息していると、その家に住む老夫婦が帰ってきます。夫婦は、我が家の上に不思議な兆しを見て、貴人がいらしたのではと考えます。

家に入ると、果たして皇子が休んでおられました。突然のことに驚きつつも、空腹の皇子へ、摘んでいた根芹を洗い、国栖魚(鮎)を焼いてもてなします。国栖魚の半身を下賜された老翁は、この魚で行く末を占おうとその片身を川に放すと、国栖魚はたちまち生き返り、清流を泳ぎ出します。これは大海人皇子が都に戻り勝利する瑞祥(吉兆)と老翁は伝えます。

そこに敵の追っ手が迫り、老爺は裏返しの川舟に皇子を隠します。舟を怪しみ検分させよと迫る追っ手に、老爺は決死の思いで拒絶し、その気迫に恐れをなした追っ手一行は、退散していきました。窮地を救われた皇子は、老翁を讃え、老夫婦は感激して涙を流します。

やがて夜になり、辺りは幻想的な雰囲気となり、妙なる音楽が聞こえると天女が現れ舞を舞い、続いて蔵王権現が姿を現し、威光を示して将来の帝の御代を言祝ぐのでした。

 

「壬申の乱」については、ここ数年、たくさんの本がでていますが、能に描かれる様子も興味深いですね。神武東遷時、神武天皇を歓迎した「国栖」の民は、壬申の乱においても大海人皇子方(天武天皇)に味方し、一定の功績を上げたと考えられます。

 

今回のブログでは、万葉集におさめられている大海人皇子の御製歌(おほみうた)も紹介したいと思います。壬申の乱より前の、能「国栖」の冒頭に描かれている場面です。側近とともに吉野への山道を落ちのびて行く心情を、吉野の厳しい自然と重ね合わせて詠まれています。

み吉野の 耳我(みみが)の嶺(みね)に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は零(ふ)りける その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来し その山道を(万葉集 巻一・二十五)

 

(事務局:ふな)