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プラチナサロン「二木屋」

桜前線が気になる季節、街路樹のソメイヨシノの枝先を思わず見つめる3月です。

今回のプラチナサロンは、お雛様のコレクションで名高い「二木屋」におじゃましました。JR北浦和駅の西側、埼玉県立近代美術館の脇をあるいた住宅街に、国の登録有形文化財に指定されている二木屋さんの建物がありました。

実施日:平成31年3月14日(木曜)

食事の前に、離れに飾られた雛飾りの説明をお聞きしました。ところ狭しと並べられた雛人形の数々は、どこをみていいか視線が定まらないほどです。

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最上段と2段目のお内裏様は享保雛

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緋毛氈の段飾りは古今雛(江戸後期、目に水晶やガラスをいれた写実的な面相)

雛祭りのはじまりは、正確にいつからというのは判らないものの、「人形(ひとかた)」の作成という点では、 縄文時代にすでに「土偶(どぐう)」を多産や豊穣を祈る地母神として崇めていたと言われます。 弥生時代には、藁に布をかぶせた身代わり人形が登場。 古墳時代には、「埴輪(はにわ)」が出現し、禊や祓いの儀式に、紙や藁でつくった「ひとかた」を使うようになり、 この人形信仰が今日の雛人形の基礎となります。

時代はくだり、平安時代には紙でつくった人形を川に流す「流し雛」が生まれ、「上巳(じょうし)の節句」の穢れ払いとして、「災厄よけ」「守り雛」として祀られるようになりました。また、源氏物語の中には「ひいなの遊び」と呼んで宮中の幼い姫たちの人形遊びが記されています。

節句としての「雛祭り」へ変わったのは、安土桃山時代の天正年間以降と言われます。 

江戸時代になると、形代(かたしろ)の名残を残す、男雛、女雛一対の立ち雛飾りが作られ、これらが座り雛に姿を変えていき、十二単の装束をまとった「元禄雛」や「享保雛」などがつくられました。

江戸後期になると、宮中の雅な装束を再現した今の雛人形の形に近い古今雛(こきんびな)や五人囃子も登場。幕末には官女や随身、仕丁などの添え人形が考案され、嫁入り道具なども見られるようになりました。 この頃には、宮廷や武家の間で行われていた雛祭りが庶民の間でも行われるようになりました。

 関西では御殿飾りが流行、嫁入り道具も「おくどさん」と呼ばれる台所用品のミニチュアが登場するなど、関東と関西の違いがみられます。

お待ちかねの昼食は、この時期だけの「雛仕立ての昼会席」です。箸置きや器なども全てお雛様に因む絵柄で、一皿ごとに楽しめ、お味とともに心地よいお昼ご飯となりました。

ご参加の皆さま、ありがとうございました。

 

(事務局:ふな)