新現役!シニアわくわくブログ

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# 面白い本 「昭和の怪物」「続・昭和の怪物」(保阪正康著・講談社現代新書)

~半藤一利亡き後、昭和史・日本軍の実像を語れる第一人者のベストセラー~

昭和の怪物 七つの謎」は、2019年新書大賞を受賞した話題作で、好評につき続編が出版されました。内容は、既に他で発表された記述をまとめ直したもの、新たに書き下ろしたものが混ざっています。流石に大変読みやすく、大半がよく知られている「怪物」たちにもかかわらず、ショッキングな或いはシンボリックなエピソードが効果的に挿入されていて、本から目が離せません。正・続2冊で採り上げられた怪物13名は、戦前・戦中の軍人や政治家等が6人、戦後活躍した政治家・文化人が4人、歴史の証人的立場の人が3人です。今でも神秘的なベールに包まれている石原莞爾には、特別に2章が充てられています。

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保阪氏の著述は、膨大な文献と関係者の証言から組み立てられたものです。資料などで検証された歴史的事実と、ともすれば不確かで感情的になりがちな関係者の証言を突き合わせて、リアルで興味をそそるストーリイが生まれてくるのです。先程、エピソードが効果的だと申し上げましたが、たとえば東條英機が、昭和10年皇道派将校に斬殺された統制派の支柱、永田鉄山軍務局長の血に染まった軍服を身に纏って復讐を誓ったという、ぞっとするようなエピソード。そしてその惨殺事件の日が、石原莞爾が参謀本部に転勤となって初出勤した日だったという偶然。このような印象的かつ重層的なエピソードが、ストーリイを厚く深くしていきます。

この本のもう一つの面白さは、客観的な歴史の語り部に徹しているはずの著者が、思わず個人的な思いや心情を吐露する場面に遭遇することです。例えば犬養毅のくだりは、著者が以前から「震えるほど」意識していた犬養道子氏との距離感の中で語られる一章です。二・二六事件の被災者渡辺和子や五・一五事件に連座した農本主義者橘孝三郎は、共感と敬意をもって描かれ、”何となく”近衛文麿や吉田茂には好意的で、瀬島龍三や田中角栄にはシビアな傾向があります。昭和という私たちにとって特別な時代に、断片的にしかし正面からアプローチしてみたい方にうってつけの書物です。 (T生)

#映画「フラガール」と”デコスケ”

東京・田町駅前にあるNPO法人新現役ネットの事務室。その中にある会議室では、毎月1回「シネマの迷宮」という映画サロンが開催されています。114回目を数える10月2日には、「フラガール」を参加者と鑑賞しました。2006年に製作されたこの作品は、経営危機に陥った常磐炭鉱を、フランダンスショーを目玉としたハワイアンセンターとして復活させた人たちの、汗と涙と笑いの物語です。多くの映画賞を獲得し、皆さんの中でご覧になった方もいらっしゃることでしょう。

f:id:tanabetan:20211006162833j:plain  ←ボタ山とフラガールたち

この映画で東京から流れてきたダンス教師を演ずる松雪泰子、フラガールのリーダーとなる蒼井優、そしてダンサー役の山崎静子や徳永えり、エキストラに至るまで、ダンス経験がまるでない人たちだそうです。意図的にそうしたキャスティングを組み、猛練習を繰り返して、ラストシーンのフラダンスショーのような、見事なダンステクニックとコンビネーションにまでたどり着いたのです。そうした隠されたもう一つの汗と涙が、独特のリアリティとなって映像から醸し出されています。

更にこの映画の魅力の一つに、出演者たちが発する茨城訛りとも常磐訛りとも言えないユーモラスなセリフ回しがあります。早口でまくし立てる、全く解読不可能な長台詞も含め、この方言の習得にも、出演者の大変な苦労があったことでしょう。例えば「デコスケ」という言葉が何回か登場します。一緒に鑑賞した人達の中に、いわきご出身の方がおられ、この映画で使われている方言、特にデコスケなどは今は殆ど話されていない、死語に近い、と云われていました。

デコスケはいい加減な奴、ばかたれ、というような意味です。この「デコスケ」、幼いころ我が家で聞いた覚えがある、と突然思い出しました。亡父が私を叱った時に使った言葉でした。我が家の本籍は確かに福島ですが、常磐とは遠く離れた地域であり、祖父の代に分家して以降は殆ど没交渉と聞いています。なぜ、亡父が「デコスケ」を使ったのか? 考えていて、フト思い当たりました。私が生まれる前に亡くなった祖父は、常磐からそれほど離れていないいわき市の磐城中学(現・磐城高校)の卒業生でした。本籍地からはとても通学できる距離ではないので、恐らく寄宿生活を送ったのでは、と推測されます。知らないうちに、祖父から父へ、そして私へと「デコスケ」が引き継がれていたのです。何か不思議な感覚に襲われました。

新現役ネットでは、東京でも大阪でも月に1回、映画を鑑賞する会を開催しています。東京で開催される「シネマの迷宮」、次回は11月6日(土)。上映作品は「焼肉ドラゴン」です。https://www.shingeneki.com/common/details/enjoy_learn/3496

                                (T生)

 

#面白い本 「収容所から来た遺書」(辺見じゅん著・文藝春秋)

毎週土曜日の日経新聞朝刊には文芸コラムや新書紹介のページがあり、現在梯(かけはし)久美子氏が「この父ありて」というコラムを書いています。9月25日は辺見じゅん(1939-2011)を採り上げたコラムの第一回目でした。ノンフィクション作家であり歌人でもあった辺見は、角川書店創業者・角川源義の長女、春樹・歴彦の姉です。父源義が癌で急逝した折、築地本願寺で営まれた社葬(葬儀委員長・松本清張)に、直後に家を出た辺見の姿はなかった、ということです。久しぶりに辺見じゅんの名前を見、これまた久しぶりに彼女の代表作「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を手に取って再読し、感動を新たにしました。

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この本は、シベリアに抑留され戦後11年たった昭和31年、最後の引揚船で帰国した数名の日本人が、ラーゲリにあって帰国(ダモイ)を夢見ながら力尽きた山本幡男の家族に宛てた遺書を「暗記」して持ち帰り、山本家に届ける物語です。ラーゲリでは、私的に書かれたメモや日記の類はすべて没収され、懲罰を課されます。それ故に4500字に及ぶ遺書は、山本氏を慕う10名近くの人が手分けして暗記したものです。山本氏は、収容所内で句会を主宰し、ロシア語の語学力を生かして収容者とソ連側との仲立ちとなり、明るい人柄と包容力ですべての人に尊敬された人物でした。記憶、というかたちで日本に持ち帰られた山本氏の「著作」は、遺書だけでなく俳句や短歌、長編詩なども含まれます。このような日本人とその絆があったことを、私たちは忘れてはいけないと思います。

このノンフィクションに登場する男たちは、ほとんど大正生まれです。私たちの親の世代です。ちなみに私の父もシベリア抑留者で、この本にも登場する「エラブガ収容所」(文中ではエラブーガ)は、父から聞いたことがある名前です。この本が書かれたのは平成元年、もう30年以上前です。昭和という時代も、どんどんと隔たりつつあります。戦後シベリアに抑留された日本人は約60万人といわれています。国際法規に違反した拘留と強制労働、そして非人間的な処遇。厳寒の地に無念の命を落とされた数は約7万人、その多くが葬儀もなく墓もなく、凍土に眠っておられます。私たちは、これを単なる「恨み」ではなく厳然たる「事実」として、次の世代に引き継いでいく使命があります。そうでなくては、故なく命や人生を奪われた人々が浮かばれません。 (T生)

 

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