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能「西行桜(さいぎょうざくら)」

西行(1118-1190)は、裕福な武家に生まれた平安末期から鎌倉初期を生きた人物であり、23歳での出家までは鳥羽上皇の北面武士を務め、そのエリートコースを捨てた出家後は心の赴くままに諸所に草庵を営み、諸国を巡る旅に出て数多くの和歌を残した歌人として伝わります。

江戸時代前期の俳人 松尾芭蕉は、西行に憧れ、西行500回忌にあたる元禄2年(1689)3月に「おくのほそ道」の旅に出ています。

晩年の西行は次の歌を詠み、この歌のとおり釈尊涅槃の陰暦2月16日に入寂したと言われます。

ねかはくは 花のしたにて 春しなん その如月の 望月のころ

能「西行桜」では、出家後、嵯峨野の奥に庵を組んだ西行と桜の老精とのやり取りの様子が描かれています。

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西行の庵には桜の名木がありました。花を愛し月を愛でる生活を送る西行は、今年も桜花咲く姿を楽しみにしていますが、見物客に静寂が乱されることをきらい、見物客を敷地に入れないと決心します。けれど、満開になった桜を愛でるため、はるばるやってきた都の者たちから、せめて一目見せてくださいと乞われ仕方なく見物を許します。

花見に興じる都の者たちの様子を見て、西行は花の散るのを静かに眺め心を澄まそうとしたのに、俗世の人々に妨げられたのは桜の咎であると歌に詠みます。

夜になり西行が桜の下でまどろんでいると、ひとりの老人があらわれます。その老人は、同じ場所を花見客に煩わされる俗世間と思うか、良き修行の山と思うかは、人の心次第であり、桜の花に罪はないと諭します。

憂き世とみるも 山とみるも 唯其人の心にあり 非情無心の草木の 花に浮世の とがはあらじ

そして自分はこの老木の桜の精であると名乗り、物言わぬままに時を違えず咲く花こそが仏法の表れなのだと語ります。その後、春爛漫の洛中洛外の情景を讃え西行を楽しませ、やがて夜明けとともに姿を消していきます。

西行が目覚めると、辺り一面には雪のように桜の花びらが散り敷いているのでした。

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出来事をどう捉えるか、心持ちひとつで大きく変わってくるというのは、現代を生きる私たちにも示唆を与えてくれる言葉です。

記録的な暖冬だった今シーズンはソメイヨシノの開花も早まっていますが、新型コロナウイルスの影響でお花見の光景も今年はいつもと大きく違っています。

本当に一日も早い収束を心から祈るばかりです。 

 

(事務局:ふな)