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能「熊野・湯谷(ゆや)」

能の人気曲「熊野(ゆや)」は、古くから「熊野 松風に 米の飯」と表現され、「何度みても飽きない、観れば観るほど味がでる」と評される作品です。※表記について、喜多流では「湯谷」

登場人物の平宗盛(1147-1185)は、平清盛と継室 時子との間に清盛の三男として生まれました。平氏滅亡の壇ノ浦の戦いで死にきれず、鎌倉護送された人物として知られていますが、能「熊野」は宗盛10代後半の平氏全盛期の物語です。この作品は、「平家物語」巻十「海道下(かいどうくだり)」にでてくる宗盛と愛妾 熊野の場面に肉付けしたものと言われています。

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平宗盛に仕える熊野(ゆや)は、病状が思わしくない遠江国(静岡県西部)の故郷の母のことが気になり休暇を願い出ます。けれど宗盛は今年の花見も一緒にいるようにと聞き入れてくれません。そこへ侍女が母の手紙を持って訪れます。手紙には、今生の別れが来る前に一目会いたいと切々とした言葉がしたためられていました。一刻の猶予もないと帰郷の許しを請う熊野。しかし宗盛は清水寺の花見に同行するよう命じます。

春爛漫の清水寺、楽しげな人々の様子を見ても熊野の心は母への思いで沈みます。宗盛に促され、桜に染まる清水を称える舞を舞っていると時雨が来て花を散らしてしまいました。これを見て熊野は母がこの桜のように散ってしまうのではと心配でたまらない気持ちを和歌に読み上げました。

いかにせん 都の春も惜しけれど なれし東の花や散るらん

その歌は宗盛の心を動かし帰郷が許されます。清水の観世音に感謝しつつ宗盛が心変わりしないうちにと急いで京を発つ熊野でした。

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権力を欲しいままにしていた時期の平家の御曹司 宗盛、清盛 亡きあとは平氏の棟梁の座に就きますが遂には滅亡の時を迎える20年後。。観ているものに諸行無常を感じさせる桜の園での物語です。

 

(事務局:ふな)