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第1回ジオツアー「長瀞」

改元の年となった今年、遥かな大地の生い立ちを探る新しい企画『ジオツアー』がはじまりました! 記念すべき第1回目は、日本地質学発祥の地と言われる埼玉県「長瀞」です。

コースの企画と案内役は、学生時代に「石炭」を専攻され、お仕事でもその専門知識を生かし、石炭、鉄鉱石及び非鉄金属資源関連についておられた新現役ネット正会員の峯苫さんです。

お心配りの行き届いた事前準備と、確かな知識に裏付けられた熱意のこもったご説明のおかげで、大変有意義かつ楽しい1日となりました。

峯苫さん、ご参加の皆さま、ありがとうございました!

 

■実施日:2019年4月24日(水曜)

■行 程:秩父鉄道「上長瀞駅」集合 ⇒ 県立自然の博物館(学芸員のお話し)、秩父地質について(峯苫会員よりお話し)⇒ 昼食 ⇒ 長瀞岩畳・ポットホール・虎岩などの散策 ⇒「紅簾石片岩」「前原の不整合」見学 ⇒ 味噌屋さん立ち寄り ⇒ 「和銅採掘露天掘跡」見学 ⇒ 秩父鉄道「和銅黒谷駅」一部解散 ⇒ 「西武秩父駅」全解散

現地の移動にはマイクロバスを利用し、長瀞の見るべき地質を効率良く観察できました。新緑の清々しい空気を胸いっぱいに吸いこみながら、荒川上流部に位置する長瀞渓谷の自然を満喫しました。

 

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「地質学発祥の地」と刻まれた記念碑と、記念碑に使われた岩石の説明

ドイツ人地質学者ナウマン博士により、日本で始めて本格的な地質調査がこの地で行われ、地質学的な価値とその後の研究者の重要拠点となったことから、長瀞は「日本地質学発祥の地」と呼ばれるそうです。

 

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約1700万年前~1500万年前まで、秩父地域には海があり、その頃の生き物の化石が多数見つかっています。博物館の看板に描かれているのは、巨大ザメ「カルカロドン メガロドン」、骨格の写真は「パレオパラドキシア」という海獣です。多様な生物が生息していたんですね。

 

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日本列島の中央構造線を挟んで存在する「三波川変成帯」と「領家変成帯」についてなど、峯苫さんの解説をお聞きしました。プレート同士のぶつかり合いや沈み込みによってマグマが変成岩となっていくことなど、とても興味深かったです。

※ツアー後に峯苫さんからお寄せいただいた質問への回答と補足説明を文末に載せさせていただきました。あわせてご覧ください。

 

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埼玉県立自然の博物館には、イノシシやツキノワグマなど沢山の動物の剥製も並んでいました。生きているような可愛いタヌキの剥製も。

虫の写真は、「ヒトスジシマ蚊」の標本です。小さな蚊の標本づくりはとても大変なのだそうです。

 

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長瀞の岩畳を形づくる「結晶片岩」。結晶片岩は、含まれる鉱物の種類によって、黒・緑・赤・青など、さまぎまな色のものがあり、寄ったアップの写真は世界でも貴重で美しいといわれる「紅簾石片岩」です。

 

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岩畳にはところどころに野生のフジが咲いていました。菜の花やハナダイコンもキレイでしたね。

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アオダモ(青梻)はちょうど白い花をつけていました。幹は写真中央ではなく、左後方にみえる樹皮がすべらかな細い方です。材質が堅く粘りのある性質から野球のバットなどに使われます。

花色が緑のものは、立ち寄った味噌屋さんの庭先に植えられていたギョイコウ(御衣黄)ザクラ。

 

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和銅採掘露天掘跡も見学しました。日本で鋳造発行された銅貨で、日本最初の流通貨幣「和同開珎」の原料となった銅の採掘跡です。秩父古成層と第三紀層の断層面に、露出した自然銅が発見され、慶雲5年(西暦708年)、朝廷に献上されました。これにより朝廷は年号を「和銅」と改元したのです。

写真では分かりにくいですが、「和銅開珎」のモニュメントは高さ5メートルもある見上げるサイズでした。隣の山野草は、モニュメントの近くに群生していたヒトリシズカ(一人静)。

 

自然界の大きな時間の流れを感じながら、学術的にも貴重な岩石や地層を実際に確認でき、知的好奇心をおおいに刺激された大人の遠足となりました。

 

※以下、峯苫氏より質問への回答と補足説明です。

1)ご理解頂きたかった概要:

中生代のジュラ紀・白亜紀までの堆積岩が、白亜紀に低温高圧変成岩となった三波川変成帯、主に中生代のジュラ紀の堆積岩の秩父帯、白亜紀から第三紀までの四万十帯、

以上が生まれた後、地上に現れ、侵食作用を受けた後、更に沈降し、新第三紀の日本列島の生成時に古秩父湾に堆積した秩父層群(巨大な哺乳類、魚類化石が出る)。

その中で、地下のマグマ活動の際に、これらの地層や断層に入り込んで来たマグマを構成する液体部分には、様々な金属元素が溶け込んでいて、これらが冷える際に、金属鉱床を生成し、これらを日本人は利用して来たこと。

 

2)追加点と質問への回答:

①高圧変成(地下およそ15-30km)での温度、圧力について

比重3.5で、1000メートル(1km)辺り 350気圧。 10km3500気圧、高圧と言われる30kmで1万気圧。

三波川変成帯は、6000-8000気圧、200-300度と言われています。

            

参考:倉敷市立自然史博物館サイト倉敷

 http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/geology/rock/metamorphicrock/regionalmetamor-5.html

 

 ② 地質時代の名称(ジュラ紀とか、、)の名称について

現場では『代表的な地質が見られる地域の名前』に由来すると申し上げましたが、以下、例外があります。

地質年代命名初期の頃の命名は、英国中心で、古生代のオルドビス紀、シルル紀は、英国の古い民族の名称だそうです。(どこどこ地方の人々、と言う意味では、地域名称とも言えますが、民族の名前をとったと整理されています。) 

 

③三波川変成帯の元となった岩石について

泥からなる泥岩やチャート、玄武岩などが含まれます。元になった岩石が付加体のものなので、海洋プレートに乗って来たものも、存在します。

 

④ 緑簾石や紅簾石など、簾(すだれ)が付いている理由について

それぞれの鉱物の結晶で、結晶が長く成長する方向に、縦縞模様が簾のように見えることから、付けられています。

 

⑤変成帯の名前の由来について 

三波川変成帯は、群馬県藤岡市三波川(地区)の三波川産出の結晶片岩に由来します。

領家変成帯は、 静岡県を流れる天竜川の支流水窪川沿いの地名、奥領家(浜松市天竜区水窪町奥領家)が由来です。

 

参考:

産業総合研究所 地質調査 総合センターサイト

https://www.gsj.jp/geology/index.html  

 

対の変成帯(三波川と領家の関係)

http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex03-06pairedmetamorphism.htm

 

 

峯苫さん、本当に有難うございました!

参考サイトも分かりやすく、地球の成り立ちについて、ますます興味が湧いてきます。  

秋に開催予定の第2回ジオツアーが、今からとても楽しみです。

 

 (事務局:ふな)