新現役!シニアわくわくブログ

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新現役ネットスタッフの3.11

2011年3月11日から今日で5年となりました。

決して忘れられる日ではありませんが、新現役ネット事務局のスタッフも、今一度、あの日を振り返り、被災地へ思いを寄せたいと思います。

 

【新現役ネットスタッフの3.11】***

大震災直後から被災地通い。口もきけぬくらい落ち込んだ自分自身を鼓舞するために始めた映画サロンもまもなく5周年。今や被災地支援が人生後半戦のライフワークになりました。(キネマスキー)

 

あれは5年前の3月11日金曜日。新現役ネットの会議室では講座が開かれており、事務所内にも穏やかな時間が過ぎていました。そして丁度2時46分を迎えた頃、事務所全体が大きく揺れるのを感じました。ビルの9階の事務所ということもあり、それまでも何度か大きな地震を感じたことはありましたが、比べようもないほどの大きな揺れでした。事務所から飛び出し、先ず廊下への防火ドアを開け、通路を確保し、会議室におられた方々にビルの外に出て頂き、手分けして広域避難場所まで誘導しました。被災の大きさを知ったのは夜に入ってからでした。昨日のことのように思いだされます。(くまさん)

 

5年前は事務局から自宅まで徒歩帰宅しました。当時は4時間かけて帰れたのが今では30分も歩けない情けない状態です。今災害に遭遇したら間違いなく帰宅不能者になるでしょう!(情けない)最近は元気でいるのが何よりも大事だということを実感しています。(saka-eco)

 

当日は、「古事記・日本書紀」の講座が開催中で30人ほど受講されていました。激震でしたが、皆さん「泰然自若」。スタッフより落ち着いておられた印象があります。エレベータがストップしたので、9階から1階まで階段で降りるのが大変だったようです。余震の方が怖かったですね。(シニア真っ盛り)

 

5年前の今日この時間、水戸偕楽園を散歩中でした。いきなりどっと揺れ、そばにあった2メートルくらいの高さの石碑が傾き、割れた地面から水が噴き出しました。思わず周囲の人々と共に座り込みました。その後、ホテルまでの道路はあちこちが裂け、コンビニには人がたくさんいても、モノはない状態。やっと辿り着いたホテルは、建物内は危ないとのことで、外に駐車したバスで、あの日一夜を過ごしました。あの時思ったことのひとつは情報の大事さです。その日、12時間経過した深夜でも、どんなたいへんなことが起こっていたのか全くわかりませんでした。深夜、バスの中でラジオは聞いていたものの、翌日のテレビ映像を見るまで真の状況は全く想像もつきませんでした。翌日凄まじい現状の映像を観て愕然としたのを、今までも忘れることはできません。(田町メリー)

 

M社で機械の輸出業務を担当しており、地震発生後、順次部下を帰宅させて皆が退社した後最後に会社を出た。交通網がほぼストップ状態だったが、偶々東京駅発の東海道新幹線が運転再開をしており、その日の内に帰宅できた。東北の被災地の惨状は息を呑むものであったが、首都圏も原発事故の影響が懸念された。(TARO)

 

5年前のあの日。講座に参加していた会員の皆さんと慶応大学に避難し、全交通機関が止まったことも知らず解散してしまった。事務局を開放すればよかった、と後で後悔。翌日から刻々と入る東日本の状況に茫然とニュースを見ていたことを思いだす。(hana)                     

 

自宅にいて、外出のため施錠中にドアがガタガタと鳴り始め、室内に戻った途端大きな揺れに襲われました。そのままTVにかじりつき動けませんでした。夜になり帰宅困難者となった友人が泊りにきました。翌朝友人が帰宅した時、猫が大変怒っていたそうです。猫も心細かったのでしょう。被害で亡くなられた方のご冥福を祈ると共に被災者の皆様の一日も早い復興を願っています。(ぴぎー)

 

もう5年経つのですね。しかも5年前と同じ金曜日の3.11です。あの日、私はデータ作業で或る事務所のマシンルームにいました。都内ではありません。だんだんと揺れが大きくなるにつれて、身長よりも高いサーバーが不気味に揺れ出しました。流石に怖くなって仲間と机の下にもぐり、「あのサーバーがこちら側に倒れてきませんように」と祈りつつ、不安なまなざしで揺れるサーバーをみつめていました。その日は、帰ってはじめて大惨事が起こっていることを知りました。直接の被害には遭いませんでしたが、鮮烈な思い出です。(ひろたん)

 

震災の日は自宅にいて、大きな揺れに驚きはしましたが、何も困ることはありませんでした。テレビから流れてくる被災地の映像を見て、夜は布団に入っても寝付けず、なんだか申し訳ないような、いたたまれない気持ちになって涙がでました。あの日の重く苦しい夜を思うと、すべきこと、できること、やりたいことをやらなくてはという気持ちが何度でも沸き上がります。(ミイ)

 

当時私は60代目前の現役で仕事をしていました。自宅が同じ方向の同僚と一緒に神田でシューズを買って履き替え、自宅の柏まで歩きました。風の強い夜でとても寒く、途中道路沿いの店先に「お手洗いを使ってください」の張り紙に暖かいものを感じました。やっと自宅にたどり着いたのは夜中の2時。真っ暗な中、恐る恐る鍵を開けて電気をつけたこと忘れません。(mo)

 

大阪には数分遅れて揺れがやってきました。帰宅したばかりの娘たちと机の下にもぐり、そのあと急いで末っ子を保育園まで迎えに行きました。(関西スタッフ・koike)

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新現役ネットでは、今後も東日本大震災支援を続けていきます。

(東日本大震災 支援活動報告)

https://www.shingeneki.com/notices/details/182