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第12回南三陸町泊浜支援ツアー(泊浜結いの会第2回目)

11月12日(日)〜13日(月)東日本大震災の被災地支援として「第12回南三陸町泊浜支援ツアー(泊浜結いの会第2回目)」が行われました。

今回は70歳から80歳までの12名の方の参加です。(+事務局2名)
 

JR東北新幹線「くりこま高原駅」集合後、まずは南三陸旧防災センターへ。
高台化が進んでいて、訪れるたびに道が変わっています。

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さんさん商店街で買い物後、宿泊する高倉荘へ。
その後、泊浜漁港に行き、会員の皆様に寄金協力をいただいた、番屋やクレーンを見学。

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夜は泊浜契約会高橋会長を囲む交流会。

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翌日

朝食後、地元海産物問屋で買い物。


会員の大島さん手作りの学童用体操着袋を現地の名足小学校へもっていき、
校長先生にお渡ししました。

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来春の新入生を中心に渡していただけるとのこと。


平成の森仮設住宅の方たちの集会所・あづま~れでいまだ仮設住宅に住む方と懇親し。
東北本線新田駅近くのレストランで昼食。

※平成の森仮設住宅には、いまだ30~40名の方が住まわれている状況です。


くりこま高原駅にて解散となりました。


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皆さんは、あの時のことを覚えていますか。
災害は忘れたころにやってきます。

 

契約会会長の高橋さんも交流会で災害時のことについて語ってくれました。


・避難場所をきちんと認識しておくこと。
・距離よりも高さのあるところに逃げるということ。
・普段からの備え。(頭巾やヘルメット、寒さ対策のヤッケ、長靴、ろうそく 等々)
・何かを取りに帰ってしまい亡くなった方がおおいこと。(命より大切なもの?)

いろいろ話してくれましたが、
それでも、都会での災害は東日本大震災の東北の教訓が役に立たないこともある。と。

 

・トイレのこと。(田舎はちょっと草むらにということが可能ですが、水道が止まりった都会。どうしますか。)
・高台のこと(高台なんて都会には見かけません。ビルは安全ですか。高さは大丈夫ですか。)
・ビルが立ち並ぶオフィス街での落下物。(看板、ガラスが落ちてきたとき、頭は保護できますか。とっさのサンダル履きで歩けないこと。怪我することもあります。)
・津波の経験がないこと。(想像がつかないということは、大丈夫だろうという過信が命を落とすことになります。)

 

自分の命は自分で守る。
自分のことは自分でなんとかする。
そのためには、事前の備えが重要になってきます。
参加した方が、
「知って、伝えることができることだ。」と話してくれました。


ぜひ、同世代のシニアという世代の人に、今回、学んだことを伝え、ともに考え、
災害時
自分の命は自分で守り、さらには、大切な人も助けることができるようになってほしいと思います。
 
また、一般消費者として買い物をするとき、
この食べ物はどこで作っているんだろう。を考えて買い物をしていますか。


日本は自給率が低く、ほとんどを輸入に頼っています。
国内自給率を高めるためにも、
同じ日本に住む日本の一次産業の人たちが生業を続けていってもらうためにも。
選んで買って食べていってほしいと思います。


「気にかけてはいたけど、なにもできなかった。」
震災後から、ずっとそう思わている方もいらっしゃると思います。
その方は、「だけど、なにもしないうちに死なないでよかった。」
と続けられました。

 

直接現地に足を運ぶことで、
知ることができること。
感じることができること。が、いろいろあると思います。

 

(すずき)

 

先週の新聞書評欄から(5)

日経新聞に目を通す機会が少ない方を対象に、11月4日(土)の書評欄を眺めます。

文庫の売上げランキングでは、カズオ・イシグロの著作が1~4位を独占しています。ノーベル賞のもたらす波及効果はすごい!

書評委員による書評は、まず「スティグリッツのラーニング・ソサイエティ」(スティグリッツ他著・薮下史郎監訳・東洋経済新報社)。経済発展に伴う技術や産業政策の観点からラーニングを論じたもの。スティグリッツは高名なノーベル経済学賞受賞者。「ライティングクラブ」(姜英淑著・文茶影訳・現代企画室)は、韓国の名もなき素人作家たちの話。「私」の読書体験に基づく成長小説の要素もあるらしい。「千の扉」(柴崎友香著・中央公論新社)。「千の扉」とは巨大な都営住宅のこと。戦後70年、団地に住んだ多くの人とその歴史を背景に、様々な小さな物語が語られる。「PANA通信社と戦後日本」(岩間優希著・人文書院)、2013年に時事通信フォトと改名された一小通信社の歴史から、「アジアの情報発信をめぐる戦後日本の挑戦と挫折」を描き出す。「三木淳と『ライフ』の時代」(須田慎太郎著・平凡社)は、日本で最初に「ライフ」の正式カメラマンになった三木淳の小説的評伝。以上、例によって5本です。

その他、掘り起こせばどんどん出てくる実態を日中の研究者がまとめた「文化大革命」(明大現代中国研究所他編・白水社)や、1946年に英国全土で生まれた約7万人の人々の生活の追跡記録「ライフ・プロジェクト」(ピアソン著・大田直子訳・みすず書房)などが興味を惹きます。

今回は「戦後」を座標軸に据えると引っかかる作品が多く、そういう意図で編集したのかしら、と勘繰りたくなるほどです。特に「PANA…」と「三木淳…」は時代と舞台がダブり、共にジャーナリズムの話なので、併せて読むと相乗効果が出そうです。

最後にもう一冊。遺伝子組み換え技術の先に懸念される遺伝子操作のよる人類の誕生。そして一旦タブーが破られれば、優生思想という悪魔の論理が頭をもたげる。「デザイナー・ベビー」(ノフラー著・中山潤一訳・丸善出版)は、遺伝子治療にも一定の評価を与えつつ、しかし目前にある「危機」をテーマに、アメリカの生物学者が著した本です。(ターサン)

 

先週の新聞書評欄から(4)

日経新聞に目を通す機会が少ない方を対象に、10月28日(土)の書評欄を眺めます。

書評委員による長文書評は5本。「中国『絶望』家族」(メイ・フォン著 小谷まさ代訳 草思社)、「ボージャングルを待ちながら」(ブルドー著 金子ゆき子訳 集英社)、「舞台の上のジャポニズム」(馬渕明子著 NHK出版)、「健康格差」(マーモット著 栗林寛幸監訳 日本評論社)、「トラクターの世界史」(藤原辰史著 中公新書)。題名からは内容の想像がつきにくい幾つかを紹介します。

「中国『絶望』家族」は、中国系女性ジャーナリストが、2016年まで続いた中国の一人っ子政策の矛盾を分析した書。「結婚できない男」「住宅ローン奴隷」「ニート」など、現代中国の多くの社会問題は、一人っ子政策と深く関係している、と説きます。「ポージャングルを待ちながら」は、フランスのオプティミスト夫婦のお話。「ポージャングル」は、ニーナ・シモンの歌「ミスター・ポージャングル」に由来。その他、わが国では国勢調査と呼ばれている人口静態調査(センサス)をテーマに、東アジア諸国の実情を浮かび上がらせた「東アジアの社会大変動」(末廣・大泉編著 名大出版会)など、興味を惹くいくつかの書籍が紹介されていますが、今回採り上げたいのは、見開きの紙面の両端に配されたエッセイ「半歩遅れの読書術」と「あとがきのあと」(新著者紹介)の内容についてです。

「半歩遅れ…」の寄稿者は宇宙物理学者の須藤靖氏。採り上げられた本は、アイザック・アシモフのSF小説「夜来る」です。このあまりにも有名な作品、ご存じの方も多いことでしょう。6つの太陽に絶えず照らされている架空の惑星ラガッシュには「夜」がありません。しかし2000年に一度、皆既日食によって1時間だけ夜が訪れます。何世代にもわたって夜を経験していないラガッシュの住人が目にする、暗黒と満天の星のきらめき。その時の彼らの呟きは「我々は何も知らなかった」。世界に潜んでいる不思議さを、当たり前と錯覚しない感受性と柔軟な思考。こうした大切なメッセージを、1941年に投げかけたアシモフに須藤氏は魅せられ、講演の都度このエピソードを引用しているそうです。

「あとがきのあと」で採り上げられているのは「新しい分かり方」(中央公論新社)と著者の佐藤雅彦氏です。佐藤氏はCMプランナーを経て現在東京藝大教授。「新しい…」は、60余の作品と随筆で構成されているそうです。この本のテーマは、私たちが何かを「どのように分かるか」ということです。1から5の五つの印刷された数字を頭に叩き込んだ後に、4が欠けた空間を指で押さえて1・2・3・5と読むと、指の下には4が隠れていると「抗いがたく」私たちは認識するそうです。こうした誤認識も含め、分かるとは「前の自分を抱合しつつ自分が拡大すること」と、佐藤氏は述べます。「『分かった!』といううれしさは、生きててよかったといううれしさです。」

アシモフの「ラガッシュ」における未体験に対する謙虚さと柔軟さ。「新しい…」で語られる、「分かる」という体験への喜び。いずれも同じことの表裏であるような気がします。世の中には、まだまだ知らないこと、体験していないことが満ち溢れていて、そうしたことを受け入れウキウキする感受性は、生涯にわたって持ちたいものです。今回は長文になってしまいました。(ターサン)